-ワイン大国ブルガリアの古代から現代まで-
ブルガリアは世界最古のワイン醸造・輸出国の一つで、紀元前4~5千年前からワイン造りに最適な土壌を備えていたこの地で古代トラキア人がワインを造っていたと言われています。
黄金の装飾品、駿馬の飼育、そしてワインで名立たるトラキアの王の墓からは数多の黄金のリュトン、葡萄をモチーフとした装飾品やコインが出土され、その史実の裏付けとなっています。
トラキア王の墳墓 黄金のペガサス リュトン
紀元前8世紀に書かれたホメロスの「イーリヤス」「オデュセイア」物語にもトラキアのワインがギリシャ及びトロイアの両陣営に輸出され、その味は「色は黒く、蜂蜜のように甘くおいしい」と記されています。濃厚なトラキアのワインは通常水で割って飲まれていたようです。またその記述からトラキアワインは現在のアパシメント製法(室内の藁の上で摘み取った葡萄を寝かせ、水分をとばし糖度を上げる)で造られていたと思われます。
ホメロス・イーリヤス物語 トロイア戦争 アパシメント製法
2000年に調査が本格的に始まったブルガリアの東南部にある紀元前5~6千年のペルペリコン遺跡からはワインの神・デュオニソス神殿が発掘されました。アレクサンダー大王もこのデュオニソス神殿を訪れ祭壇にワインを灌ぐと煙が天にまで立ち昇り、大王の世界制覇の神託を授けられたと言われています。このように現在ギリシャ神話のワインの神と誰もが思っているデュオニソスは古代トラキアの神(ザグレイ)から派生しているのです。
ペルペリコン遺跡 ディオニソス神殿跡
世界最古のワイン文化を誇っていたブルガリアも、14世紀から500年間オスマントルコの支配下におかれたため寺院での醸造を除いて廃れてしまいます。
1900年代にトルコから独立してから再びワイン造りが始められるようになりました。第二次世界大戦を経て社会主義体制になった1950年代にはブルガリアワイン製造は完全に国営化されます。一元的な品質管理を行うブドウ畑の拡張は、ブドウの種類を少なくさせ、手摘みではなくすべての作業を機械で行うようになりました。そのためブドウ畑は丘陵地帯から平原の方に移り、総合的にみるとワインの品質が下がってしまいました。
1960~70年代、ブルガリアワイン産業は高い品質のワインを特に求めない旧ソ連圏の市場向きに造られていました。また5万トンの葡萄処理が出来る大規模なワイン工場も建てられました。60年代に広く普及するのはグルジアの固有品種Rkatziteli(ルカツィテリ:白ワインの40%を占めていました)です。同じく計画的にたくさんのCabernet SauvignonとMerlotの畑も作られ、Muskat Otonnel、Chardonnay, Sauvignon Blanc、Traminerなどの白品種も植えられました。1970年のブルガリアのブドウ畑は20万ha、そのうちワイン品種は15万haもありました。
1970~80年代、ブルガリアワイン産業は西へもマーケットを求め始めます。ワインの90%は輸出用で、主にソ連に輸出していましたが、イギリス、ドイツ、日本、アメリカへもバルクワインの輸出を始めました。作られていたワインはみなブレンドワインで味を揃えていましたがヨーロッパのワイン基準からは程遠く、当時のブドウとワインの年間統計データさえない状態でした。
1978年にフランスの醸造基準に基づき新ワイン法が制定されます。ワインは品質によっていくつかのカテゴリーに分類され、80年代に初めてブルガリアにもAOC基準のワインが登場するようになりました。たとえば、Merlot from Stambolovo(スタンボロボ)、Gamza from Novo Selo(ノボセロ:ドナウ川近辺)、Chardonnay from Pomorie(ポモリエ:黒海沿岸), Cabernet Sauvignon from Lozitsa(ロジッツァ)などです。
少しずつ品質が向上し、ブルガリアワインは西のマーケット、特にイギリスでシェアを大きくしていきます。80年代後半、ブルガリアのMerlot とCabernet Sauvignonはコストパーフォーマンスがよかったため欧州市場にとてもよく受け入れられました。しかし90年代国内の政変や不景気、そして世界のワイン市場にニューワールドワインが登場したため、ブルガリアは国際マーケットから撤退を余儀なくされてしまうのです。
東西冷戦終了後、1991年にワイン産業が民営化されるとともに土地返還も行われ、ブドウ畑がたくさんの所有者に分割されます。しかしワイン造りに興味あるいは資金のない人が多く、たくさんのブドウ畑が手つかずになり、ブドウの品質管理はおろかワイン造りに必要なブドウさえ作られなくなってしまいます。またブドウが不足していたため値段が高騰し、よくブドウが熟成する前にブドウを収穫したため、どのような技術を使っても未熟で酸味の強い味を隠すことはできませんでした。
90年代の終わり頃ワイン産業に融資(EUのSAPARD :Special Accession Program for Agriculture and Rural Developmentを含む)が入りはじめると、自分のブドウ畑にモダンなワイナリーを建てる人々があらわれるようになりました。
1999年にEU、特にフランスのワイン基準に基づいた新ワイン法が制定されます。それにはTerroir(テロワール)のコンセプトが大きく反映され、特定の地域で造られた質の良いワインをGDO(原産地呼称認定ワイン)として表示しました。近年ではPDO(原産地呼称保護ワイン)、PGI(地理的表示保護ワイン)、ヴェラエタルワインのカテゴリーで分類されています。
2016年のデータによると、ブドウ畑は6万3千ha、ブドウ生産量は21万1千トン、そのうち17万3千トンをワインに使用しています。赤品種の割合がほぼ60%となっています。主な品種はPamid(パミッド:固有品種)、 Cabernet Sauvignon 、 Rkatziteli 、 Merlot 、 Dimyat(ディミヤット:固有品種)、 Red Misket (レッドミスケット:固有品種)、Muskat Otonnel 、Gamza (ガムザ:固有品種)、 Chardonnay 、Melnik (メルニック:固有品種)、 Riesling 、 Uni Blanc 、 Aligote 、 Mavrud (マヴルッド:固有品種)、 Sauvignon Blanc 、Traminer 等となっています。
白ではChardonnay、 Sauvignon Blanc、 Traminerの割合が増え、 Dimyat とRkatziteliが減少傾向にあり、赤はPamidが減少し、Cabernet Sauvignon、Merlot、 Mavrud、 Melnik、 Gamzaの増加傾向が見られます。
近年Pinot Noir、Shiraz,、Cabernet Franc,、Viognierなどへの醸造家の嗜好が強くなっているので、それらの品種のブドウ畑も増加しています。
ブルガリア固有品種マヴルッド
現在ブルガリアには230を越えるワイナリーがあり、ワイナリーの規模は小さいもので約50トン、大規模なもので約6万トンまで様々です。年平均ワイン製造量は130万hℓで、主な輸出先はロシア、ポーランド、イギリス、チェコ、ドイツ、北欧、アメリカなどです。一部のブルガリアワインは過去の共産主義時代のイメージをまだ払拭出来ず、安価なカテゴリーに分けられてしまっていますが、近年ブルガリアのワイナリーは高品質のワインを生産し、味にうるさいヨーロッパの消費者や専門家の注目を浴びるワインが続々と出てきています。
それほど遠くない将来にフランスなどの西欧のワイン生産国とは違う、古代ホメロスが記したトラキアのワインと同じテロワールが生みだした高品質のブルガリアワインを世界の人々が再発見する日が来るはずです。
トラキアヴァレー